超久しぶりの。
とんでもなく久しぶりになってしまいました。
なにか一つ意見を書くにもあっちに配慮しこっちに遠慮し、とやっているうちに何を言いたいのかわからなくなってしまってこんな身のない事書くぐらいなら書かなくて良くない!?となってボツを繰り返し、ついに書こうと思うところまでたどり着かなくなってしまっていました。
毎年ギリギリなんとか東京選手権に出場してはそれについて夏ごろまでになんとか書き起こして投稿する、というペースもみだれてはや2年。来年の東京選手権は出られるかなぁ、2023年は4月の週末バッチリ開けて待ち構えていたらまさかの5月開催と盛大に読み違えてしまい、2024年はちょっと大会のためにスケジュールあけるのもためらわれておりますが、ここを逃すと岩場に通いにくい僕としてはトレーニングモチベーションを保つのが難しくなるのでどうにか参加したいところ。
久しぶりに書こう!!と思い立ったきっけはこの最高の遊びを広く皆に知らしめていくことはなんて難しいのかと改めて感じる出来事があったからでした。
誰にでも起きうることだと思うのでこんな1年以上更新がないブログを読んでくださる方も少ないとは思うのですがちょっと考えるきっかけになったらなと。(とかこういう事気にし始めるとまた書けなくなるから程々に)
問題提起1
あなたはある程度長くクライミングをしてきています。いくつかの岩場にも通ったことがあり、ボルダリングのみらずリードクライミングもたしなみます。
岩場でのクライミング経験の少ない友人達からある有名な岩場の課題にチャレンジしてみたいと頼まれ目的の課題がある岩場に連れて行く事にしました。
いつもクライミングを一緒に楽しんでいる15名ほどのグループです。
目的の岩はいつも週末になるとジムさながらにマットが敷き詰められ、溢れんばかりの人が集まり楽しんでいる事で有名な岩です。
さて、こんな時あなたならどうしますか?
とか書いているからもう投稿するのめんどくさいなーってなるんだよな。。。とはいえ事実をそのまま投稿することを臨んでいるかというとそんなことはなくて、多分そのまま書いて投稿したらその後めちゃくちゃモヤモヤしてしまうと思う。
でも明らかに解決して行きたい問題だと僕は思っている。
すごく簡略化すると
混んでいる岩場に集団を連れて行くべきかどうか、という話。
例えれば例えるほどにおかしな話になりそうな気がするけれど
岩場シーズン真っ盛りのある週末。海外からの旅行者で、今日この日しか岩場で登ることができない!という人が20名いて、全員エゴイストっていう超有名な課題を登るためだけに日本に来た!という時、どうするのが良いのだろうか。
その場にいる人達だって貴重なハイシーズンの貴重な1日を1トライ1トライ魂込めて頑張っているわけだし、どいてくれったってそういうわけにも行かない。かといって居座る権利も持っていないし人いっぱいだから帰りなさいよとも言えない状況だと思うんですよね。
有限の資源をどう分配するのが良いのかの話?になるのかな?
ピザが1枚しかなくて、6人で分けよう!っていう雰囲気でまとまった直後に10人の人が来て16人でわけなきゃってなっちゃう感じ?
なんでこんな事を気にしているかというと、
僕の基本的なスタンスとしてはクライミングという愛するアクティビティ(スポーツと書いても遊びとかいても角が立ちそうなきがするので唐突に謎の表現でごまかす)をもっともっと多くの人に知ってほしいし楽しんでほしいし、そうしてプレイヤーが増えていく事でクライミング業界が発展していって、その先にもっともっとみんなが楽しめる世界が待っていると思っている。
そしてジムだけじゃなくて岩場でも登ってほしいし、ボルダリングだけじゃない、リードだけじゃない、様々な登りを楽しんでほしい、楽しむ事がハッピーに生きていく事に繋がって、そうしてみんながハッピーになれば世の中もっともっとハッピーな感じなっていくんじゃないかと思っていて。
そうした時にこうして広がるための障壁になりそうな事がすごく気になるからなんですよね。
ジムもそうで、昨今急激にキッズクライマーが増えていて、ジムでは大人と子供の共存問題が起きている。これも先に書いた岩の話のように有限なリソースをどう分配するのか、っていう話と、人種問題というか、違う生き物がどうやって折り合いつけて同じ場所で生きていくのかの話のような気がしている。
数少ないリソースをうまく分配するために自然発生的に受け継がれてきたルールは時代が進んで人口が増えれば当然新たなルールとして定めていかないとうまくまわらなくなってしまう。
過去にうまく行った方法にすがって、既に変化している状況に適応しようとせず、排除する方向に動いてしまうと成長が止まってただただゆっくりと縮小していってしまうような気がする。
1000人に1人しかはまらなかった時代のルールのままではなく、雰囲気での個々の善性に頼るのではなく、でも愛した時代の雰囲気を引き継ぎながら皆が楽しめる道は無いものか。