意味のあることだけを書こうとしない。
約3ヶ月ぶりにお仕事で京都に滞在しています。自宅から遠くはなれた場所にいるとこうしてブログを書こうと思えたり、普段はためてしまう帳簿をマメにつけたりといつもとはちょっと違う精神状態になっているような。いつもと違うルーチンで生活しなければいけないので、より計画的に考えて動く事が求められるおかげかもしれません。
月曜日はスポドリ、火曜日はノーズ町田店、水曜日はパンプ2、木曜日はロックランズ、金曜日はスポドリ(たまにエナジー浦和店)、土日はその時々で。。。とぱっと見慌ただしく、3月にヒローズアップ!クライミングクラブをスタートした頃は毎日「どこで」「どんな」仕事をするのかという事に頭のリソースの大半が奪われていて、その先の事までなかなか頭が回らないような状況でした。
そんな状況も半年が経ち少しずつペースがつかめてくるとそれほど考えずとも今日は「どこで」「どんな」仕事をする日だ、というのがわかるようになってきました。
そうはいっても毎週全く同じパターンで動いているわけではないので油断は禁物で、週に1度は「今日もしかしてスクールあったっけ!?」と慌ててスケジュールを確認したりしています。
日々を生きる事が大変すぎると明日の事、明後日の事が想像する事が難しくなります。
とはいえ、足元にある今を疎かにしては明日も明後日も作って行く事は出来ません。
「慣れ」てしまって見えなくなること
「慣れ」たからこそ出来るようになること
人間関係もそんな事が言えると思います。
その人がいる事が当たり前になったからこそ考えられる事。
その人がいる事が当たり前になったことで見失ってしまう事。
人に物を教えるという立場にたった時
相手は世界に一つしかない個性であるわけで、そのために考えられる事は限りないです。
とはいえ「人」という種としてはある程度定型化された体を持ち合わせていて、
「脳」が持つ学習パターンもある程度定型化されています。
定型化されている部分と個別に違っている部分。
物理的には同じ体、同じ脳を持っていてもそこに至るまでの過程は様々。
体の形の違いは多少の誤差として飲み込める部分が多いですが、精神の構造は大きく異なり、同じ言葉でも受け取り方は様々。
そんな時に見てもらうのが良いのか、言葉で伝えるのが良いのか、言葉で伝えるとしたらどんな言葉を使うのが良いのか。
どんな形にすれば飲み込むことが出来るのか。
考えているととても楽しいです。
三日坊主になるかもしれませんが、諦めずに、意味を求めすぎず、考えすぎず、クライミングにこだわりすぎず、ツラツラと書いていこうと思います。
あ、骨盤職人とても良かったです。