aもやもや

最近の事とか左肩の事とか。

河又での完登の話を書こうと思ったらそれにそれてしまったのだけれど、それはそれでそのままアップしちゃう(笑

最近ちょっとうれしい事があったり、クライミングでの成長を感じたりする事があってブログを書くモチベーションが高まっている。にも関わらず書いていないのは単に無精というだけでなく、書き始めると色々な事が気になって結局一つの文章としてまとめきれないような気持ちになってしまうから。

関わる人が増え、多様な価値観を知り、自分の一言一言が全て意図した通りにブログを目にした全ての人に届くように、なんて考え始めてしまうと全く文章が進まなくなってしまう。

受け取る人が様々である以上全ての人に意図どおりの言葉を届ける事は無理(もしくはとても難しい)なのは元々わかっていたのだけれど、前よりちょっと間違って届くことが怖いような気持ち。

見なければ良い話なのだけれど、つい見てしまった悪意のこもった言葉がとてつもなく怖くなる。うーん、インターネット怖いね(笑

でも記録という意味でも自分のためになるべく正直な言葉で今を書いていきたいと思う。

秋になったから岩場に行きたい、というよりは岩場に行ったら通うモチベーションが再燃した、そしてそれがたまたま秋だったという感じで今岩場に通うモチベーションが再燃している。

河又で一期一会(5.12d)を2RP、御前岩でアスリーツボディ(7c+, 5.13a?)を2RPと調子もい上がってきた。

そもそもなんでモチベーション落ちてたの?っていうのはまだうまく説明できないのだけれど多分原因は色々あって、仕事の事だったり生活の事だったり、体の事だったり。中でも一番わかりやすいのは左肩の故障。

「出来ない事を練習しなければそれを出来るようにはならない」

当たり前の事と思うかもしれないけれど、出来るようになりたい事であってもつい”今”出来ない事を理由にやらないなんていう瞬間、多いのではないだろうか。

僕はいつのまにかこの課題は左手の力めない角度があるから打ち込んでも完登できそうもないな、なんて考えるのが普通になってしまっていた。まずオブザベをして完登出来そうかどうかを確認する。左肩にとって嫌なムーブがあったら完登を諦めて、その場所まで登るか、どうにか回避出来ない考える。

それは今考えるととても面白くない事だった。

左肩を改善するためにインナーマッスルのトレーニングだったり、整骨院に通ったり、著名な先生に相談したりとクライミング以外での努力は続けているつもりだったけれど、いざ課題に向き合うと登る前に出来ない、と決めつけてそれほど真剣に打ち込まない。左手を出す瞬間にきっと止められないという気持ちがある。左手でぐっとホールドをひきつけて右手を出す時に左肩から不意に力が抜けるような気持ちがある。(今となってはそれが実際に力めなかったのか気持ちが諦めているから力まなかったのかはわからないけれど、少なくとも僕は力むことが出来ないと感じていた)

「出来ないことへの挑戦」をしなくなっている事、そしてそれが「出来るようにならない」理由の一つなのではないかと気がついたのがつい最近、9月の終わり頃の話。医者の不養生、紺屋の白袴、人に言っていた事をまさに自分で実行していなかった。

気がついてからは、できそうもない課題を探して打ち込む、という今までと真逆のトライを始めた。「あ、これ出来なさそう」と思ったらとりあえずやってみる。それも真剣に完登するつもりで。これがなかなか難しかった。頭の中の「どうせやっても出来ないんじゃないの?」という気持ちを振り払うことが出来ない。

1人でその気持が払拭出来ない時は人とセッションしたり、出来る課題に行ってから戻ってきたりと自分を奮い立たせて再度チャレンジ。

意外と早く変化は訪れた。出来ないと思っていた1手を数回練習することで止まったり、保持できないと思う1手が止まったり。そうして「出来そうもない」課題が完登出来ることが増えていった。完登には至らなかった場合でも「出来そうもない」箇所を止める速度が上がった。

「出来なそう」が「出来そう」に変わっていく。

もちろん一生かけても出来ないような課題もこの世にはあるとは思うけれど、どれも頑張れば出来そうだと思えることはとてつもなく楽しい。今ものすごく登る事が楽しい。クライミング始めたばかりの頃の純粋な楽しさに匹敵する感じ。限界に挑戦する事が楽しい。

最初からこうして「出来そうもない」課題を打ち込んでいたらもっともっと早く左肩がよくなったのかというとそんな事は無いのではないかと思う。半年か、一年ぐらいは回復が早まったかもしれないけれど、左手を肩から上に突然挙げられなくなったその年の秋には備中で自身の最高グレードに近い棲龍門(5.13c/d)を完登、しかもかなり短い期間で登った事を考えるとその時点では自分の可能性にふたをするような気持ちは微塵もなかったはず。

徐々に徐々に、それはそれはゆっくりとその「出来ない」事実が積み重なって気持ちにも影響を及ぼしてしまったんだろうと思う。

当然回復するためのアクションも色々とやってはいた。この向きに力むことが出来ないからこの運動をしよう、ここが固くなっているからこの筋肉をほぐそう、と行った形で本当に手探りでの回復に向けた動きだった。

色々な人に体を見てもらったり、話を聞きに行ったり、勉強したりしたけれど、決定的に良くなったのはほとんど無くて、その数少ない時もなかなか継続しなかったりして喜んでは諦める事が繰り返された。それでも知見はたまって自分で自分の体を見る程度の事は出来るようになった。

ゆっくりゆっくりと回復のための動きが重なって今の動かせる!につながっていると思う。

尻切れトンボだけどとりあえず久しぶりにがっつり書いたのでアップ!(笑

-aもやもや