八ヶ岳縦走(二日目 硫黄岳登頂ー本沢温泉到着)
横岳を通り過ぎると、先ほどまでの岩場とはうって変わって大粒の砂利(山の下なら岩)道に突入した。
元気な間はさほどではないのだが、こういう砂利道はやばい。
元気な間はさほどではないのだが、こういう砂利道はやばい。
一歩進むごとに足が重くなり、体力を削り取られる。
さらに困ったことに、ただ歩くといった雰囲気に、テンションが全くあがらないのだ。
先ほどブロッケン現象を見た興奮はどこへやら、重くなり、徐々に痛みが出てきた膝をきにしつつ
目の前になだらかに広がる硫黄岳の山頂を目指す。
足元ばかり見て歩いていることは、悪いばかりではないようだ。
道端にポツリと記された鮮やかな赤。
辺りに仲間は全く見当たらず、ただ1人、存在を主張している者が在った。
後で調べたところ、どうやらコマクサという植物のようだ。
説明には「硫黄岳から横岳にかけて多く・・・」と書いてあったが、
季節のせいか、辺りに仲間は見当たらなかった。
久しぶりの日差しに、気が急いてしまったのだろうか。
そうこうするうちに、遠くに小さく見えていた山小屋が、いつの間にやら目の前にあった。
まだ時刻は3時30分。
雲が出てきたようで、急に気温が下がり、太陽の恩恵が遥か頭上で跳ね返され始めた。
じっとりと汗に塗れたシャツを替えるべく、山小屋に立ち寄った。
道から少し階段を下りて山小屋の前に到着すると、既に宿を決めたらしい登山客が
最後の日差しを浴びて談笑しながら美味そうにビールを飲んでいた。
さすがに、目指す本沢温泉までまだ2時間近い行程を残している身としては
ビールを飲むわけには行かなかったが、ここまでの慰労も兼ねてコーラを購入。
これだけはやめられない。
山の上で飲むコーラの味。
今なCMに出ている誰よりも良い顔で飲んでいる自信がある。
そして何故こうもタバコが美味いのだろうか。
しばらく腰を落ち着けて、ふと上を見ると、本沢温泉行きを進めてくれたおじさんが歩いているのが見えた。
あわてて身支度を整え、おじさんの後を追う。
どうやら、足が痛むために速度が出なかったらしい。
丁度僕も休憩直後でゆっくりと歩いていたため、しばらく言葉を交わしながら先へ進む。
とその時、後ろから凄い勢いで抜いていく、初老の男性いた。
こちらの会話が聞こえたらしく、通り過ぎる直前から少し上に上がるまで会話に参加。
せっかちな人だ。
どうやら、彼もこの硫黄岳を登って本沢温泉を目指すとの事。
それにしても速い。
坂の中腹にいたる頃には、もう見えなくなっていた。
坂を登りきると、そのおじさんがさすがに疲れたーと言いながらおにぎりをほおばっていた。
次は必ず、米を持ってこよう。
昨日からまともに固形物を口にしていない。
白米がキラキラと輝いて見える。
そこからはそのおじさんのペースに合わせて話をしつつ凄いスピードで硫黄岳の山頂を通り過ぎ
(この人は写真を撮るのも一瞬だった)
あっという間に夏沢峠に到着した時点でダウン。
彼は僕が赤岳の山頂を出発したぐらいの時間に本沢温泉を下った駐車場に到着して
赤岳まで行って帰ってきてこれだというのだから、世の中広い。
とてもじゃないが、数年前まで喘息を抱えていた50過ぎの人には見えない。
少し寂しそうに、息子も娘も山には興味が無いという話を聞いて
ちょっとだけ、親父が元気なうちに一緒に登ってやらなくてはいけないかな、という気分になった。
実行するのはいつになるかわからないが。
夏沢峠まで来ると、辺りは再び鬱蒼と茂る木々に囲まれた道となる。
普段ならばとても楽しいはずの道のりが、おじさんの置き土産によって
早足で怯えながら歩くことになってしまった。
僕が臆病なだけなのはわかるのだが、何もこれから日が暮れて、薄暗い森に突入する前に
恐怖体験の話をしなくてもよさそうなものだ。
話と言うのはこうだ。
「あなたは、山で不思議な体験をしたことがありますか?
私は、かれこれ50数年生きてきて、一度も幽霊やらおばけやらというのを感じたことは無かったんですよ。
夜道でも懐中電灯一つで山道を歩いたりするぐらいですから。
前に一度、百名山の一つを登っていたときに、群馬の方の山だったと思うんですけれど、
登りは快調だったんですよ。いつもどおりのペースで山の頂上まで行って、
その帰り道です。
その登った山の向かいが、なんていいましたっけ、飛行機の墜落事故のあった。
頂上から下り始めたとき、急に何かに見られているような強烈な視線を感じましてね。
はっとして後ろを振り向いても何もいないんです。当たり前ですけどね。
それからはずーっと何かに見られているような感じが下山している間中ありましてね。
やっぱり、何かあるんでしょうかねぇ。
それからもまた何も感じたことは無いんですけどね。」
別になんということはない話のはずなのだ。
普段ならば。
だが、僕がいるそこは山の中だった。
辺りはシンシンと音が積もっていくような静けさの中、自分の足音だけが聞こえる
そんな森の中なのだ。
何もあるはずは無い。
そう思うことが余計に恐怖心を喚起させることはわかっていても、そうおもわずにはいられなかった。
道中誰にも合わずにいたせいか、徐々に硫黄の香りが強くなってきて、
崖の下に温泉を確認したときの安堵感といったら。