リード・ジャパンカップ岐阜大会 競技中断
6月9日(土)にリード・ジャパンカップ岐阜大会(岐阜清流国体山岳競技リハーサル大会)に出場しました。
ジャパンカップ、なんていうと出場すること自体が大変そうですが、JMAに選手登録して、エントリーするだけで出場出来てしまいます。主としては秋に行われる岐阜清流国体山岳競技のリハーサルが目的ですが、この大会でワールドカップに参戦する選手の選考も行われるためコンペティターにとって大事な一戦です。
結果はコチラに詳細が記載されていますが、9手目で使用してはいけない部分を使ったため競技中断となってしまいました。結果表には特にそうした記号は無いようですが、記録が9となっている僕を含む4名の選手が同様の内容です。また、他にもタイムアウトによって実際に登った高度よりも低い記録となっている選手もいるようですが、これも記載が無いので何名がタイムアウトなのかは発表された結果から知ることは出来ません。会場で聞いた話だと男女ともに数名タイムアウトによって実際に登った高度よりも低い記録となった選手がいるようです。
競技規則の第5条7項5目「登る壁の左右又は上端のエッジを使用した 」に抵触したという事ですね。
もうちょっと調べてみたら壁のエッジ等は絶対に使ってはいけない場所としてそもそも規定されているようです。(IFSCルール2011年版)なのでバウンダリー・デマケーション(もともと使っていい場所だが制限されている)とは別のようです。
反省
そもそもスポーツの大会に出場するにも関わらず、ルールが頭に入っていなかったという点がそもそもの反省点です。中断されるまで使ってはいけない場所、触れてもいけない場所があることが頭から抜けていました。当然壁のエッジも使った意識は無いですし、そのことでムーブが楽にもなっていないと思いますがあきらかにかかっていた場合に中断という判断は当然のことかと思います。
ただ、そのことを踏まえた上でですが同様に結果が9手となっている選手の中で唯一中断されてしまったというのは不運だったとしか思うことが出来ず非常に残念です。
立て続けにリードのコンペを体験することが出来たことでメンタル的にはとても良い状態で壁に対峙することが出来ました。今まで緊張をなくそうとして必死になっていたのですが、緊張を当たり前のものとして自分を見つめることである種リラックスした状態になることが出来たのは非常に良い経験でした。自分にとって大事な大会の本番直前に緊張していないはずがないな、と思って自分を見つめてみたら硬くなっている体や心を客観的に捉えて対応することが出来ました。実際に登ったのはたったの9手でしたが、コンペでは今までで一番良いメンタルで出した数手だったと思います。
オブザべもその後登っていた選手の登りを見る限り自分のオブザべ通りの動きをしていたのでかなり良いオブザべが出来ました。これもオール神奈川、ファイブテンカップ、鳳来でのOSトライと意識してきた成果ですね。全体を俯瞰する、一度頭の中で再生する、再度俯瞰して修正する、頭の中で再生する、再度ルートを見ながらレストポイントやクリップポイントを定める、という手順を踏むことでほぼルートを記憶することが出来るようになりました。ポイントは再生する際にわからなくても一度スタートからゴールまで通して思い出すことだと思います。わからないからといってすぐに見てしまうとなかなか覚えられません。(秀さんの受け売りですけど、実際にそのように思います)
オブザべの時点で完登するイメージがあっただけに自分の実力を試すことが出来なかったことはとにかく残念でなりません。あ、出場順が最初だったのでたくさんの選手の登りを見ることが出来たのは幸運でした。上手な選手、慣れている選手になると壁際では不自然に足を折りたたんで壁際に触れないように登っていたりして、そういう技術を見ることが出来てよかったです。
今後の目標
来年のリードジャパンカップの準決勝に進出することを目標としたいと思います。そして、その先のワールドカップへの出場を目指したい。周りに10年や20年登っている選手がいるなかで今更どこまで目指すことが出来るのかわかりませんが、準決勝への進出は不可能ではないと思います。その先の決勝への進出、さらにワールドカップへの出場となると目標よりも夢に近くなってしまう気がしますが、もう少し頑張ってからそこは見定めたいと思います。
これまで登るという行為に対して自分が最も惹かれていることは何なのか、普通の山に登ることなのか、雪に覆われた山に登ることなのか、山の上でロープが必要な岩壁を登ることなのか、氷に覆われた滝を登ることなのか、前人未到の自然に分け入ることなのか、整備された岩場で登ることなのか、転がっている大岩にしがみつくことなのか、人工壁で登ることなのか、定かでなかったし決めることが出来ず、全てが好きなんだとしてやってきました。全てが好き、という気持ちはこれからも変わらないし最終的には自分の憧れの山の頂に立ちたいけれど、まずはクライミングというスポーツのコンペティターとしてその高みを目指します。