コラム column

ビレイの事。それは暴力ではないですか?

僕の願いは生涯を通してクライミングを楽しむ人が一人でも増える事だ。
クライミングの広い世界を知り、楽しむ人が一人でも増える事だ。
成績が伸びなくなったからやめる。
怪我をしたからやめる。
伸びなくなってきたからやめる。
それも選択の一つだ。
それでも気が向いたら楽しかった記憶を元に帰ってきてほしいと願う。
ちょっと目先を変えれば楽しみ方は無限にある。

ずーっと書きたかった事なのだけれど、本当に上手く書けない。
どうやって伝えたら良いのだろうか。
そもそも僕がこの件に関しては若干怒ってしまっているので冷静にかけていないのかもしれない。

書きたい事は怖がるクライマーに対して出せと怒るビレイヤーがいる事だ。
怖がるクライマーに対して張らないぞと脅すビレイヤーがいる事だ。

恐怖に震えるクライマーにとって、その1手を出す事は自らの死を覚悟する事と同義だ。

仮にもし、周りから見て全く死の危険が無く、怪我のリスクがなかったとしても
そこで死ぬかもしれない、大怪我するかもしれないと感じてしまった、信じてしまったクライマーにとっては全く関係が無い話だ。

死ぬかもしれない、怪我をするかもしれない状況を受け入れ、咀嚼し、自分の力とビレイヤーを信じてその1手を出すから尊いのだ。

それをより大きな恐怖で押しつぶして動かそうなんて暴力以外の何者でもない。
殴って言うことを聞かせる事となんら変わらない事だ。

そもそも高い場所は危険なんていうのは幼子でも気がついている当たり前の事で
その危険な場所にわざわざ行くスポーツがクライミングだ。

様々な方法でもってリスクを減らしてはいるが、死のリスクがゼロになるわけではないし、ましてや怪我のリスクがゼロなはずがない。

その危険を減らす事が出来るのはビレイヤーしかいないのだ。
クライマーはビレイヤーが自分を守ってくれるとただ信じる事しかできないのだ。
そのビレイヤーが危険を助長するような発言・行動をしている時に、どうして先に進めるだろうか。

自分がそのように教えられたからそのように教えている。
まわりがそうやっているからそういうものだと思った。
それは思考を放棄しているだけだ。

クライマーの命を守るのは自分しかいないのだと。
今自分が手を離せばクライマーは死んでしまうのだと。
その事実をもっと真剣に受け止めるべきだ。

真剣に自分のビレイヤーとしての腕を磨き、不測の事態に備えるべきだ。
ビレイヤーはクライマーのトライを支える事しかできないのだから。

だが、それしかできないと嘆く事はない。
クライマーが迷いなく出した1手は間違いなくビレイヤーへの信頼の証なのだから。

暴力はふるった側はすぐに忘れてしまうけれど、その恐怖に震えた記憶がなくなることはない。

クライミングは楽しいものなのだ。
生涯通して楽しめる、素敵なものなのだ。

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